パニック障害の始まり
初めまして。めいぷるです。
同じような方に読んでもらえれば光栄です。ここからは自由に書きます。
小学3年生の時にそれは突然始まった。
私はすぐに泣いてしまう女の子より、全力で遊べる男の子と遊ぶのが日課だった。
その頃に好きな人調べを先輩が実行して、よく遊んだりする子数人が私の名前を挙げてくれたそうだった。結果が気に入らなかった先輩は
「あいついきがってね?」
と怒っていじめがスタート。
一番最初は
「あれ?ヘアピンなくなってるよ。探してあげる」
とお気に入りのピンを隠された。
小さかった私は、机の中に入れておいたのにどうして気付いたんだろう、くらいにしか考えなかった。もちろん見つけたのは先輩で、ポスターの裏にはさまって落ちていたと言われた。だんだんと疑いの目で見るようになる一方、いじめもエスカレートして空気のように扱われるようになる。周りの子達も同じく関わってくれなくなっていった。
いじめは先輩が卒業するまで続いた。
途中で転校生がやってくる。何も知らないその人は、からかって頭なでてくれたりして兄のような存在だった。だが、今度は私がその人を好きだという噂が流れるのにも時間はかからなかった。無視、近づくとバイ菌のように扱われる。耐えられなくて仮病で学校を休む日も少なくなかった。
急に訳も分からなく怖くなってじっとしていられなくなり母に相談したが、大丈夫だとしか言ってもらえなかった。こんな発作がよく起こるようになる。
私は本当に独りになった。
兄のような人にも元通りに仲良くして欲しいと手紙を何度か書いたが、関係が修復する事も恋だと勘違いが解かれる事もなかった。
それどころかエスカレートして告白もしてないのにバレンタインに振られた事も。女の先輩に関しては、自転車置き場の木の部分に
めいぷる死ね、キモイ
と木を掘るようにペンの先で強く書いたりしてあった。ショックで固形物が飲み込めなくなった。ご飯が食べれないのを父にも理解されず、キツく怒鳴られた。
私が中学3年になって、先輩は高校で同じように一人になったらしく
5年間の事を謝ってきた。
清々するでもなく、謎の恐怖の発作と記憶だけが残る。
高校に入り、合唱部に入る。発作の方は酷くなり、授業中にも起こるようになった。
部活だけが心の支えだった。そこで精神科に通ってると仲間から情報をもらい、自分も何かの病気かもと思ってメンタルクリニックを訪れた。
そこで沢山の問診票に答えてやっと診察室に入ると
「パニック障害です」
と告げられた。
精神病で恐怖の発作が起きてるのかと分かると、不思議と安心できた。その後通院もせず、病気も良くならなかった。当時はネットで調べる習慣もなかったので、今30歳になって
どうして でいっぱいになる。
母はなぜ精神病と知って通院しようと言ってくれなかったのか。
すぐに対処すれば治る可能性もあったと知って後悔が止まらない。
重度のパニック障害になった私の今。
また発作が起こるかもという不安(予期不安)
強い不安が起きた時に逃げられない状況を避ける(広場恐怖)
この二つがずっとループして発作が起きたり、留守番が困難、電車や新幹線に乗れない。
発作が起きれば動機や汗が止まらず、家中を走り回る。
薬の副作用にも悩まされる。
誰を恨んでも過去には帰れない。働けないから旦那に迷惑と心配ばかりかける。
鬱もあるらしいので癒しも趣味もない。
そんな大人になってしまった私を支えてくれてるのが、同じ病気の人達だったりする。言葉で説明しても理解が難しいみたいで、田舎に帰ればいい噂話のネタになるだけ。
だから今いるこの場所にいて、友達は少ないけど本当に大切にしてくれる人達しかいないから前を向いていきたい。価値がないって言われたって、私の価値は多分そんなところにはない。人一倍思いやりを持てる人間であり続けたい。